2002年8月発行

 2002年10月6日(日)に開催した同窓会の会報誌の表紙です。

 表紙の写真は聖路加病院から勝鬨橋を臨んだ景観です。なお懇親会は銀座レストラン「高松」本店で開催されました。

 

以下は当時の会長「水野敏夫」(4期生)が寄稿した文書です。

 

「出会いの大切さ」

 

牧野観寿先生が、先ごろ亡くなられた。残念である。先生は、昭和22年から42年まで、京橋高校の国語の教師として教壇に立たれていた。先生は福井のお寺の生まれ、小さい頃から仏の道を学ばれた。また、戦争中は応召でビルマへ、そして敗戦。飢えと熱病のなか、ジャングルでの敗走をくり返し、生死の境をさまよい、やっと帰国されたという。その経験から、先生の人生観は厳しく、「若者はいかに生きるべきか」と我々を徹底的に指導してくださった。

 学校の催事の際、先生は挨拶で「一期一会」という言葉をよく口にされていた。ご存知の通り「茶道」の心得で、それは「今日の一日は絶対に一度しかないものであるから、悔いのない出会いを大切にしましょう」という意味である。

 私たちは京橋高校で、恩師や級友たちと巡り合った。この出会いを大切にして「誠心誠意」まじめに生きていきたいと思う。

 牧野先生、京橋高校同窓会を見守ってください。


2005年8月発行

  2005年10月16日(日)に開催した同窓会の会報誌の表紙です。

 表紙の画は石塚三郎先生が描いた水彩画「佃の渡し場にて」です。なお懇親会は銀座「東武ホテル」で開催されました。

 

以下は当時の会長「水野敏夫」(4期生)が寄稿した文書です。

 

「同窓会の活動について」

 

 1997年の3月、京橋高校は都の方針により発展的統合をもって87年の長い歴史の幕を閉じました。あれから8年余りの時が流れました。しかし、学校はなくなりましたけれども京橋の同窓会は、会員たちの努力で運営されており、3年に1度総会をはじめ、記念室の充実(晴海総合高校内)で会員名簿の整理、会報の発行、晴海総合高校とのネットワークなど、その運用を発展させ同窓会の総会も今回で3回目を迎えました。

 皆さんの会へのご理解とご協力を賜り大変に感謝しております。ただ、心配することは現在の役員が60歳台、70歳台と明石町時代の卒業生が多く、晴海時代の同窓生が少ないことです。もちろん、働き盛りの皆さんにボランティアで時間を使うのは物理的に難しいでしょうが、どうか情熱と知恵を会にお貸し下さい。

 京橋ルネッサンスの未来にはせた想いを、是非お願い申し上げます。京橋の歴史と伝統を守りましょう。


2008年9月発行

2008年11月16日(日)に開催した同窓会の会報誌の表紙です。

 表紙の画は石塚三郎先生が描いた水彩画「橋のある風景」です。なお懇親会は銀座「東武ホテル」で開催されました。

 

以下は当時の会長「水野敏夫」(4期生)が寄稿した文書です。

 

「同窓会の活動について」

 

 平成8年、京橋高校最後の卒業生50名が社会に巣立ってから早いもので10年の日を送りました。その間、母校はなくなっても京橋の灯を消すことなく3年毎に同窓会を催し、今年が第4回目となります。

 会員の皆さんの母校を懐古する心は、恩師の教育・旧友との友情・部活動・種々の催事など、それらは社会人になった現在でも忘れられないで励まされていると思います。

 今年も多くの皆さんの参加をみて大変嬉しく感じております。たとえ京橋高校が晴海総合高校に発展的母体校と変わったとは云え同窓生が一人でもいる以上続行する覚悟です。現同窓会の役員も心よく協力をしてもらいますが可及的速やかに若い人たちに応援をしてもらいたいと考えております。どうか、よろしくお願いします。


2011年8月発行

2011年10月16日(日)に開催した同窓会の会報誌の表紙です。

 表紙の写真は朝潮橋から晴海総合高校を撮影したものです。なお懇親会は銀座「東武ホテル」で開催されました。

 

以下は当時の会長「小林和夫」(19期生)が寄稿した文書です。

 

「京橋高校創立100年の襷(たすき)を

 心で繫ぐ同窓会」

 

 京橋高校同窓会の会員の皆様におかれましては、ますますご健勝のこと推察申し上げます。

 今年の同窓会は、京橋高校創立から数えて100周年の記念の年になります。もちろん平成9年4月より晴海総合高校に統廃合されましたが、もし継続していればの話でございます。確かに新たな会員は増えることはありません。しかし、現実に私をはじめ、数多くの大先輩や後輩達が社会で活躍されております。新たな会員が増えないことで、同窓会事務局としましては、運営(資金面)に大変苦慮しているところですが、今年は創立100周年を記念した総会を目指して準備を重ねております。

 創立期の大先輩から受け継いだ京橋高校の襷を87年間受け続け、その後は受け継ぐ後輩はおりませんが、京橋高校の魂(心)の襷だけは、今後も受け継いでいきたい。いや、受け継いでいかなければならないと思っております。

 今日、世の中が大変に厳しい時代ですが、こんな             

時代・社会であるが故に、一日皆さんで集まって、高校時代にタイムスリップして、その当時の若いエネルギッシュな力を今の時代に引っ張ってこようではありませんか。これが同窓会の力であり、心のであると思います。一人でも多くの参加者を期待しております。


2014年8月発行

2014年10月18日(土)に開催した同窓会の会報誌の表紙です。

 表紙の画は遠藤俊久(19期生)が描いた水彩画「墨田の春」です。なお懇親会は銀座「サンミ・高松」で開催されました。

 

以下は当時の会長「小林和夫」(19期生)が寄稿した文書です。

 

「新旧交代とその後の方向性」

 

 都立晴海総合高校の第16回卒業式、第18回入学式に出席いたしました。

18回目の入学式は言い換えると、京橋高校同窓会が統廃合になってから18年が経過したことになります。当時、「発展的統合」という言葉が使われましたが、事実は京橋高校の廃校が決定したことです。

 前回の同窓会で今後の京橋高校同窓会のあり方について皆さんのご意見を伺った中に、晴海総合高校の同窓会と合同できないものかとのご意見がありました。しかし、京橋高校は廃校、晴海総合高校が新しい学校としてスタートしたことから、一緒になれないことが現実です。

 毎回、同窓会のたびに今後の同窓会の在り方についてお話し、大変に申し訳ありませんが、今後どのように舵を取っていけば良いかは、ますます難しいところです。

 幸い同窓会事務局に若いメンバーが入ってきました。若い人たちの考えを取り入れながら、京橋高校同窓会という大きな船の今後の進路を探りながら、

                          舵を取っていきたいと考えています。


2017年8月発行

継続は力なり(先輩から後輩へ繫ぐ伝統ある襷)

          小林 和夫 会長(19期生)             

東京都立京橋高等学校が閉校(発展的統合)後20年が経過いたしました。私は都立高校に勤務した経験から数多くの都立高校が発展的統合の名目での閉校を目にしてきました。

閉校後それまでの高校の同窓会がほとんどが不活発な状態にあること(都立京橋商業高等学校同窓会しかり)も見てきています。当然といえば当然です。新しい会員は0であり、会費も0となり運営が困難になることは自明の理です。

しかし、我が京橋高校同窓会は大先輩方の努力と会員の皆様方のご支援のおかげで、閉校後20年間も続けてこられましたことに、改めて感謝申し上げます。

今後の同窓会の将来を考えるに当たり、夢ばかり見ていても、現実の足元を見ないでいては、絵に描いた餅であり、砂上の楼閣となります。私が水野前会長から同窓会長を引き受けた際に思ったことは、いつかは京橋同窓会の幕を引かなければならないだろう。

その幕引きは私よりも若い役員にお願いするのではなく、私がその役を引き受けなければならないと決めています。といって、すぐに幕引きをする訳ではありません。会員の皆様方のご意見を尊重し、今後の同窓会のあり方、方法論を探り、できる限り継続していく所存です。

そして、京橋高校同窓会の活躍が、他の閉校後不活発な都立高校同窓会に少しでも刺激を与え、同じ閉校後の都立高校同窓会同士が手を取り合って活発化していければ素晴らしいことになると思っています。

夢かもしれませんがどこまでやれるか、会員の皆様ご支援なくしてはできないことであり、ご協力を切にお願いします。 ご支援・ご協力の第一歩が、今年の同窓会総会に友人同士誘い合い、ふるってご参加くださることであります。

大勢の会員の皆様のご出席を願っております。